!赤の二乗

2016年のカープのキャッチフレーズは「真赤激」だそうです。そして私は、マイキャッチフレーズを加えました。

「赤の二乗」です!
意味は、今年のカープには、二軍はありません。一軍がふたつあります。

それを証明するかのように、ベンチには「さんばーい」「ごばーい」「じゅーばい」(じゅぱー)と、さえずる、インコの絵が描いてあったような・・・

さながら、スヌーピーウッドストックスラィリーとポインコ。

貢献せねばならぬ

このたびは皆のものの熱心な歓迎を受けてうれしく思ふ。本日は親しく市内の災害地を視察するが、広島市は特別な災害を受けて誠に気の毒に思ふ。広島市民は復興に努力し、世界の平和に貢献せねばならぬ。
        
ああ広島平和の鐘も鳴りはじめたちなおる見えてうれしかりけり

追慕

以前、「脱ダム宣言」というセンセーショナルな言葉がありました。恐らくは、あからさまに、作ることが目的とわかるようなダム作りはやめましょうということだと思います。

核廃絶とは言わずに、脱核宣言、進歩を塞ぐ核を脱ぎ捨て、自分から脱皮し羽化していく。

その先がない核を保有したいと思う人へ、保有してはいけませんとは言えないと思います。

先人の面影を偲び、核より更に、先に、進歩の可能性のある道を選びなさいという、教えの導きを頂いているかどうか、静かに大きな違いが横たわっている、ただそれだけ。

地球の呼吸

社会経済の発展は、リスクや矛盾、あちらが立てばこちらが立たず、必ず対立や犠牲を含むものだと思っていました。でも、それが発生しない考え方があることに気づきました。

地球が一つの生命体で、そこから法則が送り出されているという前提を持つことです。そして、すべての人間社会の活動は、最終的には地球の生命のルールで支配され、結論付けられることを肯定し素直に受け入れることです。

経済活動やお金も、人が考えることとは別のところで、この法則によって動かされていると考えると、矛盾が発生しませんでした。

命を延ばす働きで得たお金は自身の命を延ばし、命を奪う働きで得たお金は、やがては自身の命を奪うことになっている、不変のルールが存在していると感じます。それは国の行為でも同じだと思います。


最近のことばで「乗っかり企画」ということばがありますが、「地球の命に乗っかり企画」に早く気付くかどうかを、最先端に近づくというのではないでしょうか。地球を守る働きに、働いていれば、守られる方へ進むことができるような気がします。

真の発展繁栄ができる力量というのは、お金の量ではなく、命の継続力のことだと思いました。


地球の命の法則というと、迷信的と思われるかもしれませんが、その逆に、更に科学の法則の根源であり、経済の法則でもあると感じます。

素人建物考

高層ビルは自分だけ高くそびえていれば、それでいいのでしょうか?低い建物より、倒壊した時に広範囲に危害が及ぶことを考慮し、その際にはこれだけの保証をしますよという、周辺への約束はしないのでしょうか?「高さ」においては、津波もビルも違いはないように思います。線路や道路の傍のビルが倒れると、路を塞ぎます。

周防灘台風では太田川流域が氾濫したことがあるそうです。その一因に人災の側面もあったとか。当時、川の傍に陸軍の施設があり、そこから流れ出したものが、堤防にぶつかって、堤防を壊したということもあるそうです。

耐震について、逆の発想もあるのではないかと思います。地震で壊れてもコンパクトに折りたたむようなしくみで、人をつぶさない隙間や空間ができるように、壊れやすくする。自然に逆らわない、地震の揺れに合わせ、受け入れるという考え方もまた。

!人生劇場 審判編 アウト

9月12日の甲子園球場での誤審の説明に、「先入観」という抽象的な言葉が使用され、通用していることに、素人の私でもびっくりしました。その先入観がどこに働いたのかわかりません。
大きなお金が動くのであれば、誤審の全てを「審判も含めてゲーム」というのは疑問に感じます。


「誤審」にも「セーフ」と「アウト」があると思います。


9月12日の誤審については、本来「肉眼での判断でホームランと判定しておかなければならなかったもの」という記事もありました。

 

 

!人生劇場 舞台監督編 采配

昨日勝って緩むより、ここで負けておいて、あとを更に引き締まっていこう!

特に、有望であっても、経験が浅い者にとって、これからエラーが出やすい状況に進んでいくのであるから、今出し切っておいて、前もって学習し、これから永遠に生きる薬にしておこう!