夏のノート

長崎と広島

原子爆弾が投下された時の、長崎と広島の共通点のひとつがキリスト教。長崎のキリスト教はよく知られていますが、広島の爆心地近くの官舎で亡くなった市長、粟屋仙吉は内村鑑三の影響を受けたクリスチャンであった。

足音

原爆ドームの傍を歩くと、とてもたくさんの足音が聞こえるような気がします。「被爆後に、それだけ、多くの人が訪れたということかな・・」と思っていましたが、そうではないことがわかりました。被爆前の、産業奨励館に訪れた人たちの、生きた証の足音だと。

佐々木禎子さんの折鶴はこう言っているのですね。 飛んでいきたい 世界の平和に羽ばたきたい

子や孫

今のアメリカの大統領や、周辺の方々を見ていると、被爆者世代の方から見ると、子供や孫の世代に当たるのだと思いました。

円周率と謝罪の方程式

戦争について敵と味方、国対国という視点で見れば、「謝罪」問題が発生し、それは円周率のように、永遠に割り切れないものだと思います。しかし、戦争にはもう一つの視点があります、生対死です。国を問わず、「戦争により亡くなった方」対「生き残った人」…

夜明け前

「日本のいちばん長い日」が終戦までの経緯を描いたものであることは、最近知りましたが、まだ本を読んだり、映画を観たことはありません。入江相政著「陛下側近として五十年」の中の<天皇陛下「激動の六十年」>や「いくたびの春」<戦禍のなかで>に、終…

十五夜物語

私はディズニーランドに行ったことがありませんし、行くのであれば、本場へと思って、優先順位ではどうしても後の方になるため、その機会はまだ訪れません。しかし、ウォルト・ディズニーの伝記は読み、原画の画集のようなものや、洋書の絵本は持っていまし…

貢献せねばならぬ

このたびは皆のものの熱心な歓迎を受けてうれしく思ふ。本日は親しく市内の災害地を視察するが、広島市は特別な災害を受けて誠に気の毒に思ふ。広島市民は復興に努力し、世界の平和に貢献せねばならぬ。 ああ広島平和の鐘も鳴りはじめたちなおる見えてうれし…

追慕

以前、「脱ダム宣言」というセンセーショナルな言葉がありました。恐らくは、あからさまに、作ることが目的とわかるようなダム作りはやめましょうということだと思います。核廃絶とは言わずに、脱核宣言、進歩を塞ぐ核を脱ぎ捨て、自分から脱皮し羽化してい…

ドームルネサンス

原爆ドームを負の遺産として残すことが、終止符でいいのかなと思います。被爆前の産業奨励館を復活再建してみたいとは思わないのかなと。

原子爆弾により亡くなった人は、権力や力を持っていない人が多いのではないかと感じましたが、やはり、一般市民が多いようです。本当かどうかはわかりませんが、国民を支配する立場の一部の人は、現代のスマートフォンのラインでつながるように、原子爆弾投…

昭和20年9月17日の枕崎台風の被害は約3,000人で、そのうち約2,000人が被爆直後の広島県民ということです。広島の被害の割合が大きい原因は、原子爆弾の破壊により、天気予報の情報を伝える通信手段が断たれたためであるということです。しかし、この台風は実…

amour

映画とはまた別に、アルカトラス(Alcatrazz)というバンドの曲で、「Hiroshima mon amour」という題名の歌があるそうです。 ALCATRAZZ【HIROSHIMA MON AMOUR】Graham_Bonnet - YouTube

復興議会

粟屋仙吉は1943年7月第18代広島市長に就任し、1945年8月6日に、市長官舎で孫と三男とともに逝去。爆心地から南へ950メートルの近い所であったため、閃光により一瞬で白骨化し、即死であった。妻幸代、二女の康子も後に被爆により死亡。8月9日に原爆投下され…

1958年

フランス映画「二十四時間の情事」(アラン・レネ/Alain Resnais 監督)の原題は「Hiroshima mon amour」(ヒロシマ・モナムール)。1945年8月に原爆投下。その後10年ほどは「空白の10年」と言われ、広島は封印されるかのように、日本政府からの援助もなかっ…

いしぶみ

8月6日に爆心地から500メートルの本川土手に建物疎開作業に行かされた、広島県立第二中学校1年生全員の321名と引率の4名の先生が犠牲となった。 参考書 「いしぶみ―広島二中一年生全滅の記録」(広島テレビ放送)

市民とともに

8月6日、被爆により、広島市長、中国軍管区司令官、中国地方総監も亡くなられた。 参考書は「康子十九歳 戦渦の日記」 (門田隆将 著)

8月6日と9月17日

昭和20年8月6日の原爆投下後の9月17日に枕崎台風により、広島は大きな被害を受け、2,000人以上の死者・行方不明者が出た。 参考書は「空白の天気図」(柳田邦男 著)

夏のノート

普通名詞として「原子爆弾」と言ってしまえば、それで終わってしまいます。確かな情報ではないかもしれないけれど、主としてインターネット上から拾い集めた「広島の原子爆弾」について、「夏のノート」としてメモしたいと思います。