続/翻るシンデレラ

アシュトン版ロイヤル風シンデレラに「おやすみなさい」と言ったものの、眠れないのは、やはり翻るイメージのシンデレラ像が胸のあたりから抜けていかないからでした。

以前録画していたパリ・オペラ座のシンデレラを取り出してみました。

その時は、つまらなく思って全部観てはいませんでしたが、確か、シヴィ・ギエム演じるシンデレラは膝下までのドレスだったので、裾も翻っているはず・・・という推理?のもとに・・・ヌレエフ版への旅に出てみようと思います。

なぜ、私にとって翻るイメージが重要かというと、これまた随分昔、20年くらい前読んだ本の数行が心の中に根を降ろしているからです。

「運命の紡ぎ糸」
(モリー・ギレン著/宮武潤三・順子訳・篠崎書林)
(「赤毛のアン」の作者ルーシー・モード・モンゴメリ伝)の中の数行。
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ありきたりの日常のさなかにありながら、《栄光と夢》に包まれ光輝く時があり、その理想美の世界とモンゴメリを隔てるものは1枚の薄いベールだけであったと・・・

このべールが、風が吹いて翻ると彼方の魅惑の国が一瞬見える・・・その一瞬のひらめきがモンゴメリの生活を生きがいのあるものにしていたという内容でした。
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私は、この、時折翻る薄いベールにとても憧れました。

そして、なぜかしらシンデレラ像にこのイメージがぴったり重なってしまうのです。

シンデレラの見る夢は、シンデレラ・コンプレックスや王子様幻想などと意地悪く見られがちなものではなく、日常生活のさなかにありながら、何かしら生きがいがあると感じさせてくれるような充実感の訪れや訪れをもたらす事象・変化の象徴だと思っています。

文化の根幹にかかわることかもしれない。

私はシンデレラを幻想的だと笑わない。そして老若男女誰でもシンデレラにあてはまると思っています。