相生橋の背景

大本営は「インペリアル・ジェネラル・ヘッドクォーターズ」と連合国から呼ばれていたそうです。(フリー百科事典『ウィキペディア』)広島にもそれが置かれた時期があったとか。

原爆ドームの背景には、推測ですが、他にも比治山陸軍墓地江田島海軍兵学校などがあるようだと最近初めてわかりました。

海軍兵学校には特攻隊の遺書などが展示してありますが、私は随分小さい頃4歳位だったでしょうか、家族で出かけて、何も知らずここではしゃいだ瞬間、知らないおじ様に徹底的に叱らたことが鮮明に記憶に残っています。とっても恐かったです。すぐさま、逃げて陰に隠れましたが。わが身を守るため、泣く暇はありませんでした。後から考えると軍隊の怖さの体験だったのでしょうか?

数年前にも訪れたことがありますが、その際、掲揚された旗の影の位置で時を読んでいた学生もあったと聞かされ、それには随分と感心しました。赤煉瓦は本物の建築を追及したからだというような説明だったと思いますが、曖昧な記憶です。

市民の日常とは違う所で、なぜ、誰が、何をしたのかなと思いました。