復興議会

粟屋仙吉は1943年7月第18代広島市長に就任し、1945年8月6日に、市長官舎で孫と三男とともに逝去。爆心地から南へ950メートルの近い所であったため、閃光により一瞬で白骨化し、即死であった。妻幸代、二女の康子も後に被爆により死亡。

8月9日に原爆投下された長崎は、キリスト教の伝来の地であるが、また、広島市長の仙吉はクリスチャンであったため、合同の告別式では、新約聖書の研究家でもある塚本虎二が告別の辞を述べた。

市長亡き後、生き残った議長や助役らで、8月20日に廃墟の中でむしろを敷き、市議会は招集された。

 

 

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