夜明け前

「日本のいちばん長い日」が終戦までの経緯を描いたものであることは、最近知りましたが、まだ本を読んだり、映画を観たことはありません。

入江相政著「陛下側近として五十年」の中の<天皇陛下「激動の六十年」>や「いくたびの春」<戦禍のなかで>に、終戦直前のことについて、何人かの人が命を失う緊迫した場面も、冷静に描かれています。

昭和天皇が、玉音放送録音のために、空襲警報が出ている中、夜道を4分ではあるけれども、無防備のお車で移動していただくという判断は、陛下のご催促に基づき、弱り果てた担当者みなと相談し、下記のような結論に至ったからだそうです。

  日本の国土と民族を救うためには、陛下に放送していただくほかない。
  こういう大事の時には、きっと何事もあるまい。と

つまり、万全な警備体制ではなく、「きっと何事もあるまい」という、プラス思考の判断のみで、ひとまず危険は考えないこととし、昭和天皇は、侍従ひとり(入江相政)をお連れになって、玉音放送に向かわれたということでした。

また、終戦に当たっては、鈴木貫太郎ご夫妻の存在が大きかったということですが、鈴木貫太郎総理が、二・二六事件当時、侍従長の時、九死に一生を得たことについて、

 「死なせてはいけない。あとでまた大事な役があるから」という神慮によって一命を
 とりとめたものと思われてならない。

と表現されています。また、鈴木総理は過去にも数回、生きることができるかどうかという場面で、救われてきた方だそうです。

プラス思考と、神慮に守られた命が、終戦にいたる最後の武器でした。