!証

前田智徳選手は、デッドボールが原因で骨折し、引退となりました。
黒田投手も、2016年10月25日、日本シリーズ 第3戦の6回で、足がつって投げることができず、引退となりました。

そういう姿が、主役の証。

動画で見ると、コーチに付き添われて、黒田投手は去りました。ひとりではなく、コーチと一緒に去る姿が、チームメイトが見守っている息づかいがわかって、感動的でした。
チームという組織に準じ、ベンチに降りる前に、そっと背中を叩かれて去った後には、何事もなかったように試合は続きました。

2016年の日本シリーズの名場面であったと感じました。

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!選択

SMBC日本シリーズ2016において、カープは第3戦から第6戦まで負けて、日本一にはなれませんでした。負けた試合の結果を見てみると、シリーズの後半にまとめて、全て8回以降、試合の終わりの方で負けが決まっていました。

そこから、「きれいに整列した、負け方の形が描き出されているな」と思うとともに、きっと「負けた」のではなく、「勝つことを選ばなかった」「負けを選んだ」と、素人初心者の総括をしました。

今回の日本シリーズは、勝つことよりも、負けることで得ることの方を選びました。勝つべき時に勝って、日本一になるための、種まきをしました。

目には見えない大きなプレゼントをいただいて、負けまして、カープのカミサマ、ありがとう!

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!花道

カープSMBC日本シリーズ2016、出場資格者は40名だけれど、カープ開幕戦で配布されたメンバー表の選手は71人。監督、コーチ、選手、スタッフ、マスコットも合わせると、きっと40名の3倍以上。

ひとり2刀流はありませんが、40名が3倍も一つのスタイル。

「カミッテル」は、選手に順に巡り、先輩の背中を見守り続けた全員に、男気は受け継がれて、3倍に膨らみました。

その結果、閉ざされていた日本シリーズ出場への道が開かれました。先輩と一緒に、みんなで歩いた日本シリーズへの道。



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!鯉模様

 カープの勝利の旗は、鯉模様のパッチワーク。一枚布ではなく、様々な個性の布をつないで、大きな勝利の旗を手縫いで作っていく。描く模様は鯉模様。

1枚布の旗は、縫い目もないかもしれないけれど、縫い目の本当の意味は、チャンス。針の孔の数だけチャンスがあふれてる。破れたり失敗しても、すぐに繕えるけれど、一枚布はそれはできない。

映像にも予測にも映し出すことができない、奇跡を集めたハンドメイドの旗。

           戦争の中で娘になった、本当にそうだったと思うと、美也子はきりきり心の弦
   が張った。眦をあげて空を見た。今の年頃の娘の燃え盛る運命を思った。
        しかしまた縫い針を持った。襦袢の古切にまた新鮮な愛情を感じた。戦争の年
   月箪笥の底で、じっと美也子を待っていてくれたような、不思議な気がした。
  
                                                                                                 川端康成 著「小切」 

カープ坊や赤毛の「女の子」も、選手と同じようにバットを持っています。燃え盛る運命を思い、心の弦を張り、まなじりをあげて、曇りない明るい表情で構えています。

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祝!神さまの名前

今年は「カミッテル」という言葉が賑わって、神さまも、プロ野球リオデジャネイロへと、いろいろ大忙しだなと振り返りました。

カープに帯同する神さまってどんな名前かなと考えていると、二柱の神様が舞い降りていらっしゃいました。

一柱目は「サンバイノミコト」。

その働きは、試合に出る人数は限られるにしても、一軍から三軍まで全員の実力と強い気持ちを束ね集めて、一試合ごとに映し出して勝負する。「一軍が3倍」「一軍が三つ並び」のスタンスであります。「三本の矢」にも通じておるわけです。

人知れない地道な努力が大好きで、誰も見てなくても、ちゃんと見ていて、積み重ねに応じて「センバイマンバイノミコト」に、また、最大のピンチには、「カエル」の被り物をさっとお被りになって、「ヨミガエルサンバイノミコト」に変身されます。「よみがえれば、人生に負けなし」と。

そのお姿は、インコやオウムに似て、天に舞います。

羽は白、赤い丸の頬、頭には3本の毛を立てています。勝つと、羽が神々しく金メダル色に「ぱぁーっ」と3倍輝き、感謝を振りまきます。負けても、頬が日の丸のように「ぱぱぁーっ」と3倍紅潮するとともに、勇気と元気で、胸の羽がこの上なく膨らみます。勝っても、負けた時も「ぱぱぱのぱぁーっ」とそれ、サンバイ

一緒に「ぱぁーっ」と唱えてみると、不思議と歩むべきひとすじの道が開けてくるのです。

二柱目は「ダケノミコト」。

その働きは、「カープダケ」「カープダケ」と、主に応援に力を貸して下さり、市井の人の命を喜ばせてくださいます。「人の命を喜ばせる」とは、たとえ大臣であっても、社長であっても、なかなかできることではありません。

そのお姿は、きのこに似て、地につなぎます。

時々、観客席において、ホームゲームでは白に赤水玉、遠征先では赤に白水玉模様の、きのこの傘が開いたり閉じたりし、スクワット応援している幻のようなお姿を見ることがあるかもしれませんが、幻ではないことをお伝えしておきます。

一緒に「カープダケ」と唱えてみると、いつの間にか集中力と自分を信じる力がついていることに気づくでしょう。

どちらも、お住まいは選手と一緒。スタジアムベンチ後方に浮かび上がっていることもあります。

カープの神さま、優勝、ありがとう。

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!筋書き

筋書き通りです。役者も舞台も揃っています。
ホームを背に戦いに行く。25年分の悔しさを下ろす場所は敵地。

やがては、次を見据え、足元を見つめていく。

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社会のルール

ポケモンGO」は屋外の風景を借りてするゲームだそうです。

通常、所有者がある場所では、許可がなければお店を開いたり、特別なイベントをすることはできません。場合によっては、利用料が発生します。

ゲームの利用も同じだと思います。

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長崎と広島

原子爆弾が投下された時の、長崎と広島の共通点のひとつがキリスト教。長崎のキリスト教はよく知られていますが、広島の爆心地近くの官舎で亡くなった市長、粟屋仙吉は内村鑑三の影響を受けたクリスチャンであった。

 

 

 

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!未来野球

これからは道徳の時代!紳士野球は未来につながる野球!カープ道は未来野球!

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足音

原爆ドームの傍を歩くと、とてもたくさんの足音が聞こえるような気がします。

「被爆後に、それだけ、多くの人が訪れたということかな・・」と思っていましたが、そうではないことがわかりました。

被爆前の、産業奨励館に訪れた人たちの、生きた証の足音だと。

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佐々木禎子さんの折鶴はこう言っているのですね。

   飛んでいきたい
   世界の平和に羽ばたきたい

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子や孫

今のアメリカの大統領や、周辺の方々を見ていると、被爆者世代の方から見ると、子供や孫の世代に当たるのだと思いました。

 

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円周率と謝罪の方程式

戦争について敵と味方、国対国という視点で見れば、「謝罪」問題が発生し、それは円周率のように、永遠に割り切れないものだと思います。

しかし、戦争にはもう一つの視点があります、生対死です。国を問わず、「戦争により亡くなった方」対「生き残った人」「現在生きている人」という視点でみることができます。この視点で、明解に割り切ることができます。答えは「今ある命に感謝する」です。

夜明け前

「日本のいちばん長い日」が終戦までの経緯を描いたものであることは、最近知りましたが、まだ本を読んだり、映画を観たことはありません。

入江相政著「陛下側近として五十年」の中の<天皇陛下「激動の六十年」>や「いくたびの春」<戦禍のなかで>に、終戦直前のことについて、何人かの人が命を失う緊迫した場面も、冷静に描かれています。

昭和天皇が、玉音放送録音のために、空襲警報が出ている中、夜道を4分ではあるけれども、無防備のお車で移動していただくという判断は、陛下のご催促に基づき、弱り果てた担当者みなと相談し、下記のような結論に至ったからだそうです。

  日本の国土と民族を救うためには、陛下に放送していただくほかない。
  こういう大事の時には、きっと何事もあるまい。と

つまり、万全な警備体制ではなく、「きっと何事もあるまい」という、プラス思考の判断のみで、ひとまず危険は考えないこととし、昭和天皇は、侍従ひとり(入江相政)をお連れになって、玉音放送に向かわれたということでした。

また、終戦に当たっては、鈴木貫太郎ご夫妻の存在が大きかったということですが、鈴木貫太郎総理が、二・二六事件当時、侍従長の時、九死に一生を得たことについて、

 「死なせてはいけない。あとでまた大事な役があるから」という神慮によって一命を
 とりとめたものと思われてならない。

と表現されています。また、鈴木総理は過去にも数回、生きることができるかどうかという場面で、救われてきた方だそうです。

プラス思考と、神慮に守られた命が、終戦にいたる最後の武器でした。

 

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十五夜物語

私はディズニーランドに行ったことがありませんし、行くのであれば、本場へと思って、優先順位ではどうしても後の方になるため、その機会はまだ訪れません。

しかし、ウォルト・ディズニーの伝記は読み、原画の画集のようなものや、洋書の絵本は持っていました。クラシックな感じの手描き感のあるディズニーの絵は好きでした。

昭和天皇ミッキーマウスの腕時計をされていることを雑誌の写真で知り、かけ離れて遠い存在、別世界と思っていた昭和天皇に親近感を覚えました。

また黒い革のベルト(?)で、気取らない重厚さのある時計がお洒落で、お揃いと思われるものを探して購入しました。当時は一般的に流行っていたのか、他の友人たちも持っていたと思います。
(しかし、昭和天皇の周辺の方々は、そのミッキーマウスの時計は、「(公平性を重んじる立場上)いったいどうしたらよいのだろう・・・」とハラハラするものでもあったとか、なかったとか。)

そういうことがきっかけで、侍従をされていた入江相政さんのエッセイを読むことになり、そのユーモアに惹かれて、面白いエピソードを探して、何冊かを読みました。確か入江相政さんは、中秋の名月の頃に亡くなられたのを印象強く覚えています。

そのユーモアとは、たとえば、

 筍について、外国のお客様から「これは何か」と聞かれて「バンブーチルドレン」と
 説明された知事さんがおられたとか、

 侍従がお互いの靴をはき違えて、左右違った靴を履いたまま、随行していたとか、

 同情すべき事情があり、陛下のお弁当を内緒で食べることになったが、まさしくその
 現場に陛下が入って来られて、見つかってしまったが、言い訳はしなかったし、聞
 かれなかったとか、

 巡幸中に、陛下のために用意されたお風呂に、いろいろ経緯もあり、侍従が入ったた
 め、外からお湯が抜かれて、入浴中にお湯が無くなったとか・・・

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