!言語と翻訳
カープ力(りょく)を信じていると、カープ言語翻訳能力が身に付きます。
「CS敗退」の翻訳は「野球のロマン」
CS終了後すぐ、ドラフト会議に臨むという絶妙なタイミングで、華麗に負けを捨て切れたのはかっこよかった。
どこに行っても通用する実力で勝負する野球に、過去未来を繋ぎながらも、時代を超えたロマンとゆるぎない信念を持っています。叡智と工夫を持って勘と技を磨いてゆきます。
「コーチ退任」の翻訳は「良い縁結び」
誠にありがとうございました。また、これから良いコーチとの出会い、チームメイトとの出会いがあるという将来の約束ができました。更に素晴らしいチームへと成長します。
「大物伝説新人獲得不参加」の翻訳は「アイデンティティーと品性」
自分とは何かを問う姿勢と選択、または判断力。なびかないところがすてき。金塊を育て抱く、いぶし銀でいいんだ。
!選択
SMBC日本シリーズ2016において、カープは第3戦から第6戦まで負けて、日本一にはなれませんでした。負けた試合の結果を見てみると、シリーズの後半にまとめて、全て8回以降、試合の終わりの方で負けが決まっていました。
そこから、「きれいに整列した、負け方の形が描き出されているな」と思うとともに、きっと「負けた」のではなく、「勝つことを選ばなかった」「負けを選んだ」と、素人初心者の総括をしました。
今回の日本シリーズは、勝つことよりも、負けることで得ることの方を選びました。勝つべき時に勝って、日本一になるための、種まきをしました。
目には見えない大きなプレゼントをいただいて、負けまして、カープのカミサマ、ありがとう!
!鯉模様
カープの勝利の旗は、鯉模様のパッチワーク。一枚布ではなく、様々な個性の布をつないで、大きな勝利の旗を手縫いで作っていく。描く模様は鯉模様。
1枚布の旗は、縫い目もないかもしれないけれど、縫い目の本当の意味は、チャンス。針の孔の数だけチャンスがあふれてる。破れたり失敗しても、すぐに繕えるけれど、一枚布はそれはできない。
映像にも予測にも映し出すことができない、奇跡を集めたハンドメイドの旗。
戦争の中で娘になった、本当にそうだったと思うと、美也子はきりきり心の弦
が張った。眦をあげて空を見た。今の年頃の娘の燃え盛る運命を思った。
しかしまた縫い針を持った。襦袢の古切にまた新鮮な愛情を感じた。戦争の年
月箪笥の底で、じっと美也子を待っていてくれたような、不思議な気がした。
川端康成 著「小切」
カープ坊や赤毛の「女の子」も、選手と同じようにバットを持っています。燃え盛る運命を思い、心の弦を張り、まなじりをあげて、曇りない明るい表情で構えています。
祝!神さまの名前
今年は「カミッテル」という言葉が賑わって、神さまも、プロ野球やリオデジャネイロへと、いろいろ大忙しだなと振り返りました。
カープに帯同する神さまってどんな名前かなと考えていると、二柱の神様が舞い降りていらっしゃいました。
一柱目は「サンバイノミコト」。
その働きは、試合に出る人数は限られるにしても、一軍から三軍まで全員の実力と強い気持ちを束ね集めて、一試合ごとに映し出して勝負する。「一軍が3倍」「一軍が三つ並び」のスタンスであります。「三本の矢」にも通じておるわけです。
人知れない地道な努力が大好きで、誰も見てなくても、ちゃんと見ていて、積み重ねに応じて「センバイ、マンバイノミコト」に、また、最大のピンチには、「カエル」の被り物をさっとお被りになって、「ヨミガエルサンバイノミコト」に変身されます。「よみがえれば、人生に負けなし」と。
そのお姿は、インコやオウムに似て、天に舞います。
羽は白、赤い丸の頬、頭には3本の毛を立てています。勝つと、羽が神々しく金メダル色に「ぱぁーっ」と3倍輝き、感謝を振りまきます。負けても、頬が日の丸のように「ぱぱぁーっ」と3倍紅潮するとともに、勇気と元気で、胸の羽がこの上なく膨らみます。勝っても、負けた時も「ぱぱぱのぱぁーっ」とそれ、サンバイ!
一緒に「ぱぁーっ」と唱えてみると、不思議と歩むべきひとすじの道が開けてくるのです。
二柱目は「ダケノミコト」。
その働きは、「カープダケ」「カープダケ」と、主に応援に力を貸して下さり、市井の人の命を喜ばせてくださいます。「人の命を喜ばせる」とは、たとえ大臣であっても、社長であっても、なかなかできることではありません。
そのお姿は、きのこに似て、地につなぎます。
時々、観客席において、ホームゲームでは白に赤水玉、遠征先では赤に白水玉模様の、きのこの傘が開いたり閉じたりし、スクワット応援している幻のようなお姿を見ることがあるかもしれませんが、幻ではないことをお伝えしておきます。
一緒に「カープダケ」と唱えてみると、いつの間にか集中力と自分を信じる力がついていることに気づくでしょう。
どちらも、お住まいは選手と一緒。スタジアムベンチ後方に浮かび上がっていることもあります。
カープの神さま、優勝、ありがとう。
!筋書き
筋書き通りです。役者も舞台も揃っています。
ホームを背に戦いに行く。25年分の悔しさを下ろす場所は敵地。
やがては、次を見据え、足元を見つめていく。
円周率と謝罪の方程式
戦争について敵と味方、国対国という視点で見れば、「謝罪」問題が発生し、それは円周率のように、永遠に割り切れないものだと思います。
しかし、戦争にはもう一つの視点があります、生対死です。国を問わず、「戦争により亡くなった方」対「生き残った人」「現在生きている人」という視点でみることができます。この視点で、明解に割り切ることができます。答えは「今ある命に感謝する」です。
夜明け前
「日本のいちばん長い日」が終戦までの経緯を描いたものであることは、最近知りましたが、まだ本を読んだり、映画を観たことはありません。
入江相政著「陛下側近として五十年」の中の<天皇陛下「激動の六十年」>や「いくたびの春」<戦禍のなかで>に、終戦直前のことについて、何人かの人が命を失う緊迫した場面も、冷静に描かれています。
昭和天皇が、玉音放送録音のために、空襲警報が出ている中、夜道を4分ではあるけれども、無防備のお車で移動していただくという判断は、陛下のご催促に基づき、弱り果てた担当者みなと相談し、下記のような結論に至ったからだそうです。
日本の国土と民族を救うためには、陛下に放送していただくほかない。
こういう大事の時には、きっと何事もあるまい。と
つまり、万全な警備体制ではなく、「きっと何事もあるまい」という、プラス思考の判断のみで、ひとまず危険は考えないこととし、昭和天皇は、侍従ひとり(入江相政)をお連れになって、玉音放送に向かわれたということでした。
また、終戦に当たっては、鈴木貫太郎ご夫妻の存在が大きかったということですが、鈴木貫太郎総理が、二・二六事件当時、侍従長の時、九死に一生を得たことについて、
「死なせてはいけない。あとでまた大事な役があるから」という神慮によって一命を
とりとめたものと思われてならない。
と表現されています。また、鈴木総理は過去にも数回、生きることができるかどうかという場面で、救われてきた方だそうです。
プラス思考と、神慮に守られた命が、終戦にいたる最後の武器でした。