2007-01-01から1年間の記事一覧

2!~Sentir

以前はよく通って歩いた球場脇の歩道。当時は野球に興味がなく、例えば選手らしい人がいたとしても、足を止めることはありませんでした。しかし、何度も立ち止まって見たものがあります。「センティア」・・・封印されたマツダの車です。名前は「Sentir」か…

1!フレンチスタイル

広島市民球場へは、野球を観るためには一度しか行ったことがなく、今でもカープのチームにどのような選手がいるのかほとんど知りません。しかし、ホームページで、カープオンラインショッピングを見ていて、購入したいと思ったものが高価でしたので、ネット…

生命線

軍国主義の時代へは二・二六事件から傾き玉音放送で終止符が打たれた。玉音放送に対する反乱軍は田中静壱大将が鎮めたそうです。 二・二六事件や玉音放送に対する反乱軍のような性質を持つ人に動かず、そういう人や作用を淘汰していく社会は、文化が生命線に…

白く輝く

『陛下側近として五十年』(入江相政著/講談社)、Ⅴの章―天皇陛下のお側にて・・・天皇陛下「激動の六十年」―は、「御聖断」・「御前会議」・「開戦と敗戦」・「玉音放送」・「巡幸と外遊」・「皇室外交」の6つに分かれています。「御前会議」のページに文…

約束

平和公園をただ「墓場」のような目で見ないでね。復興を約束する所だから。無念であったけれども、次の子供たちがいるから、雲の上から繁栄と復興のパスポートを発行してくださるのよ。

後輩

今日街で見かけた「カープ坊や」。なんだか「ボールだけじゃなくて、どんな兵器の弾も僕が打ち飛ばすよ!」と言っているみたいに見えた。頼もしい後輩だね。スラィリーは球団マスコットの中では一番「なぞ」なんだって。ちょっと「ピカソ」的。

負の宿命

世界遺産の「自由の女神」様が掲げているのは自由民主の誇り、聖火でしょ?核の炎ではないよね。 広島や長崎は町や人が、核の炎で焼かれた。 同じ世界遺産なのに、アメリカはよかったね聖火で。同じ世界遺産なのに、原爆ドームは焼かれた残骸。

相生橋の背景

大本営は「インペリアル・ジェネラル・ヘッドクォーターズ」と連合国から呼ばれていたそうです。(フリー百科事典『ウィキペディア』)広島にもそれが置かれた時期があったとか。 原爆ドームの背景には、推測ですが、他にも比治山陸軍墓地、江田島の海軍兵学…

昭和

ああ広島 平和の鐘も 鳴りはじめ たちなほる見えてうれしかりけり *** 昭和天皇

鯉城

広島大本営があったことが投下のひとつの理由ならば、広く言い換えれば、首都や防衛施設が投下の目標になりやすいということだと思うけれど。

目覚め

「安らかに眠ってください、過ちは繰り返しませぬから」そして、「時には起き上がって、私たちを叱ってください」

沈黙

広島といえば原爆。原爆といえば平和。ほとんどの被爆した人たちが表立って平和運動をしているような印象を持たれがちですが、多くの被爆者はまた、ひっそり黙っている。悲惨な記憶は思い出して語れないという人もまた、本当です。

アッシジの空

はじめてお会いしたその人は、アッシジの星降る風景をことばで見事に描き出し、語ってくれました。本当に臨場感に溢れていて、絶対に行って見たいと思わせるものがありました。あるお祝いの席で意気投合して、その後4人で食事にでかけた時のことです。銀座…

ふたつの星

東山魁夷さんと川端康成さんは深い親交があったようです。「川端康成と東山魁夷 響きあう美の世界」(求龍堂)には川端さんの「道」について触れた書簡が紹介されています。 いちばんおどろいたのは「道」で、つまり実物の御絵の「道」です。 よほど長く距離…

旅路

2月に行くことになっていた歯科医院が苦手で、延ばしていたものの、ふと明日は行こうと思い立って予約を入れました。その帰りのことです。近道に、デパートの中を通って抜けようとすると、「東山魁夷 版画100撰展」が開かれている案内が目に留まりました…

「家族の肖像」と題される作品は様々な分野で数多くあるようですが、私の場合、ヴァン・ダイク・アンソニーの絵の「家族の肖像」を指します。 平成18年4月2日に 広島県立美術館で「エルミタージュ美術館」展-魅惑の秘蔵コレクション~フランドル絵画と…

天女の舞

1月、ちょっと不思議な体験をしました。その日の天気は快晴、穏やかな日でした。屋外でふたりがかりで、大きな布を畳んでいた時のことです。長さが10メートル以上あり、なかなきれいにたためず悪戦苦闘。 幅は1メートルくらいでしたのでそのまま両手で広…