白く輝く

陛下側近として五十年』(入江相政著/講談社)、Ⅴの章―天皇陛下のお側にて・・・天皇陛下「激動の六十年」―は、「御聖断」・「御前会議」・「開戦と敗戦」・「玉音放送」・「巡幸と外遊」・「皇室外交」の6つに分かれています。

「御前会議」のページに文化勲章誕生の経緯が記されています。

当初、この勲章の意匠は「桜」であったそうですが、昭和天皇が「文化上の業績は、もっと永劫(えいごう)の生命を象徴するものでなければならない」とおっしゃって、「橘」になったそうです。天皇陛下がこのように個人的な思いを主張されることは稀なことであったようです。 著者自身、侍従として傍にいながら、反芻して思い出すのだそうです。

  日本が軍国主義への傾斜を強めていったとき、こうしたご発言があったのは、私にはひど
  く印象的であった。


繰り返して強調しますと、その「橘ご発言の時」とは、具体的には

  二・二六事件直後の広田弘毅内閣のときのことである。

軍国主義へと傾く日本の中で、陛下の本音は「永劫の生命を象徴する文化」への強い思いとなって、「橘の白い花」に化身しているのでしょうか。もし、仮に、昭和天皇にひとすじの道があるとするならば、文化に向う道であったのではないか、また、この文化勲章誕生の経緯に、昭和天皇の運命が顕れているような気がします。

戦争という時代は、多くの命が失われる中で、「文化」という「永劫の生命の種」が蒔かれた時でもあったということです。そして今、この種を育てる人はいません。