黎明
塗装する面積は同じなのに、塗料の節約とかの方針で、広島エリアを通る列車は、カープのチームカラーの赤ではなく、よりによって、わざわざ他球団カラーに塗りつぶされて、ZOOM-ZOOMスタジアムを横切って走るのでした。
考えすぎかもしれないけれど、配慮やデリカシーがないなあ、と思っていたら、赤い「カープ列車」が期間限定で運転されるという楽しいニュース。
しかし、せっかく走っているにもかかわらず、「1編成で広域を運行している」とかで、めったに見ることはできません。その希少的な存在に「なるほど」と感心し、ある言葉が思い浮かびました。
学生の頃、授業で教わった一文です。
一つの真理が今水面に浮かび、今また淵の底に消えたかと思うと遂には奔流に頭をもたげ、勝ち誇り泳ぎ行く苦闘の有様を見れば、現在の知識をそれだけ明確に評価できるようになるのではないか。
※『生理学の黎明』の監訳者の序の部分に引用されている
マイケル・フォスターのことば
つまり、「カープ列車」は『「奔流に苦闘する有様を象徴する形』として、心に刻まれました。
せっかく存在していても、めったに姿を見せることはしない。
しかも、苦闘している。
真理って、決して華々しいものではないんですね。
そして、「カープ列車」という形を通して、「真理」の在り様を見て学び、誠の科学力、実力を養うことができるのかも?