今年8月6日には、国連やアメリカ・フランス・イギリスの政府の方々が、広島にわざわざ足をお運びいただいたということでした。

確かな情報ではありませんが、アメリカの大使さんは昨年秋に一度広島を訪問されて、その後一度帰国し、打ち合わせ後に今回式典に参列されたようです。

平成22年8月6日の半日訪問のために、約1年がかりの準備を自国に帰ってまで、必要であったとすれば、「真剣なんだ。」と感じます。

核兵器を持つ国の内部事情には、深い苦悩も伴っているのではないかと思いました。今回、謝罪があったかどうかということが話題にされているようですが、そういうことではないと思います。被爆地は自らが立ち直る覚悟ですから、謝っていただかなくても結構です。

被爆者は謝罪のことではなく、かろうじて、消え行く声でお伝えしたいことがあるとすれば、「おせっかいのようですが、このままでは、このようなことをしていれば、お互いがだめになっていきますよ。」ということだと思います。更に付け加えるとすれば、崩壊しない国のあり方や持続する繁栄について、見直してゆきましょうということだと思います。

8月6日の日本側の核抑止力の言及よりも、アメリカ側の沈黙の方が、真剣さがあるように思いました。
非核三原則や武器輸出の見直し、原子力発電拡大など、お金儲けが優先されているように思います。崩壊の足音を、日本は聞き取れていないようですが、アメリカのインテリジェンスはすでに、切実に、気づき始めているのかもしれません。

相手の国を生かす方法が、自らの国を生かすことにつながると。

もし、広島の地からアメリカに対してお祈りすることがあるとすれば、「どうぞアメリカの国のひとりひとりの寿命を延ばしていってください。」ということです。

医学の技術や知識は最先端で一流でも、庶民の生活に還元したり、生かし切れず、また、戦死する若者を加えれば、平均寿命はそう高くないのではないかと、ある記事で見かけましたし、本当にそうかもしれないと思いました。

その国が信用でき、実力があるかどうかのひとつの目安は、子供が真に子供らしくあるか、高齢者が生き生きと元気であるか、町並みに個人商店が生き残って、地元の中小企業が頑張っているかなど、本当に平凡な日常生活にあるのかもしれません。

    
経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である
                      二宮尊徳

これから、道徳なき経済の犯罪性を、どのように具体化していくのかが問われてくるのでしょうか。