後姿

高校野球 黙とう」で検索すると、第87回全国高校野球選手権大会、8月6日の開会式における、黙とうの件について表示されます。

その日は被爆60年目の「原爆の日」でもあり、開会式前に広島県代表の高陽東高校の生徒が黙とうを提案したけれども、主催者側に反対され、列を外れて自分たちだけで黙とうするように促されたということです。

黙とうするしないということではなく、今年70年目の原爆の日に、また、わざわざ開会式を重ねてくるというのは、本音を言うと、眉をひそめたくなります。

しかし、原爆投下の地に選ばれ、被爆した事実と歴史の当事者を思えば、何でもない事だと思い直しました。今年もこれからも、同じような場面が繰り返されるかもしれませんが、高校生にはこれが日本の現実の氷山の一角であることを理解し、黙とうに気づくような、明るく素直で暖かな気持ちを強く持ち続けてほしいと思いました。

被爆地にしかわからないことがあるのは、亡くなった方が残したメッセージ。過去と同じように排他的に扱われる局面に出会うほど、追体験をするように、わかることが多くあると気づきました。
その時に何に気づかされるかが大切で、みじめさがやがて宝になることもある。傷ついて、見方や考え方を変えたがため、尻尾をつかんで、却って全体がわかることがある。亡くなった方は悲しみだけを残してはいない。

たいていの世界遺産は、見た目にも宝物であることが殆どですが、広島にある世界遺産原爆ドームは焼け残った傷口です。

宝物自慢コンテストがあったとします。ことばどおりの財宝を持ってくる人の中で、広島は焼け焦げて壊れ、やっと残ったものを持って社会参加することになります。もしかすると、主旨が違う、そんなもの持ってくるなと言う人もいるかもしれない、覚悟がいる。

そして、全てではないにしても、広島の大人たちは金銀ではなく、その残骸をいかに残し伝えていくか、真剣に考えているのです。私一人の心の中であっても、その背中、後姿を心の目に焼きつけておきます。

被爆の責任は被爆地でとる、基本姿勢がわかりました。