広島の道

大国頼みであったり、自国の国頼みであったりすると、失望することはわかっていると思う。

原爆投下という特殊な性質の経験を経たことにより、広島・長崎は世界で孤独な立場に立たされた運命であるから、これからも孤独な歩みを続けていく宿命を持っている。どの国も歩むことができない、宿命の道を歩き続ける。誤りのない道を先駆けて切り開き、追従を許さず進んでゆくべきだと思う。

その足を広島に踏み入れないでください。広島に来ないでください。広島の名前を呼ばないでください。

空に聞く

競争社会や弱肉強食社会という側面では、「長いものには巻かれろ」という雰囲気があり、また、「長いものは巻いている」つもりかもしれない。

しかし、一番長いもの、一番強く大きなもの、「自然」に巻かれていないのは、「ぬかりがある」ということではないだろうか。命の基本が外れている。

「経済力」や「軍事力」、「核の傘下」を俯瞰して見れば、致命的な盲点のある構図が見えてくる。

強食に追従し、模倣や亜流に甘んじ、長い目で見れば、外れることに巻き込まれているのかもしれない。

!Carp と Burdock と Eel

今のカープのキーワドは「ごぼう」と「うなぎ」。

鯉のぼりの時期は過ぎました。これからは、ごぼう抜き、うなぎ上りに順位を上げて、おどり出ます。

昔、スタートダッシュで出遅れたけれど、トップに躍り出る競馬の歌がありました。

 

動かすということ

自分の懐に入るお金が多い方を選ぶ方が、プロであるという考えに、「本当にそうか?」と考えてみました。答えは「違う」。

自分の懐にお金を入れる以前に、多くのお金を動かす。人を動かす。さらに、人々に感動を与え、心を動かす。

人の命がつながる方へ、お金を動かし、全体を動かすことができることがプロで、本当のロマンや夢があるんだと思った。

!お宝

デッドボールを続けて受けた悔しさは、貯金させていただきます。ありがとう。

情熱という利子を増幅し、宝とします。

私たちは、文化を核心にもって、ファインプレイやフェアプレイに満ちた紳士野球を守り抜きます。

観る人の心に陽が差すことを願って、今日も明るい道を歩みます。

summer grass style

原子爆弾により実際に被爆された方にとっては、当時の地獄のような焼土や亡骸の様子がどうしても中心を占めると思います。

しかし、そこにもし、夏草の一本が芽吹いたのであれば、次世代の私たちは、その瞬間の景色をも思い描いてみたいです。

どのように芽を出してきたのか、頭を下げて自然の秘密を問いかけてみたい。

何があっても、再生するその法則を。

未踏

科学者の発見する真理でさえ、100年先は間違っているかもしれないと常に思い直しをするのであれば、今の経済の計り方だって、間違っているかもしれない。

書道の余白の美は、墨で描かれた部分以外の白紙の所。

お金が描き出す数字の墨の部分以外の所、その白紙が何であるか、今は誰も知らない。

国益って、形骸化していてあまり生きたことばのように感じない。国運だと思う。

スタイル

  夏草やつわものどもが夢のあと

芭蕉の有名な俳句。

「夏草」について、「夏草」そのものが枯草に通じて、「夢のあと」の無常を表わしているという「人」目線の解釈が一般的なようです。
でも、「夢のあと」になっても生き続ける自然の力、夏草はすごいな、そこからたくさん学ぶことがあるなと、「夏草」中心でもいいはず。

広島弁で言うと、「どうやったら(どうしたら)、そうように(または、そんとに)(そんなに)、生き延びられるんね(生き延びることができるの)?教えてえや(どうぞ教えてよ)。」

今、日本を除く世界でよく見られている韓国の動画から、「~スタイル」という言い方が流行っているようです。

アメリカ航空宇宙局」は“NASA Johnson Style ”

 

それに対して、8月6日を経験し、最近では「おしい!」看板を揚げている広島流では、廃墟に残る夏草に問いかける「夏草スタイル」になるかもしれないです。

  The summer grass
  It is all that's left of ancient warriors dreams


新渡戸稲造さんは英訳しているそうですので、“summer grass style”です。

芭蕉の歌は中国の杜甫の詩「春望」の共感から生まれたものです

  
国破山河在 城春草木深 感時花濺涙 恨別鳥心驚 
  烽火連三月 家書抵萬金 白頭掻更短 渾欲不勝簪

ボールとお菓子

「ドイツ人捕虜チーム」で検索すると、広島のサッカーの歴史が出てきました。

1919年1月に、当時の色々な事情で似島にいらっしゃったドイツチームと広島チームとの初めての国際試合が、広島高等師範グラウンドで行われたとか。その頃から日本のサッカーの勉強が始まったそうです。


また、似島の収容所でユーハイムバウムクーヘンを焼いていて、それが広島県物産陳列館広島県産業奨励館)で開催された捕虜展示即売会でお披露目され、バウムクーヘンが広まるそもそものはじまりだそうです。

また、この展示会でソーセージを出品したヘルマンさんは、広島のハム製造会社で技術指導をしたそうです。


ホットドッグも解放後に上京したヘルマンさんから伝えられ、販売は甲子園球場が初めてということですが、旧広島市民球場でもずいぶん前から販売されていて、子供の頃はこのホットドッグをお土産にいただくのを楽しみにしてしていました。

広島ではカープうどんはとても有名ですが、子供のころ実際に球場には行かなかった私にとっては、市民球場のイメージは、ホットドック

確かタマネギかキャベツが入っていてシンプルなホットドックでした。今のホットドッグは昔のものとは少し違っているかもしれませんが。


忘れられているけれど、戦争を経ても、国境を問わず静かに残していただいたものがあるということ。

自然とともに

サンフレッチェが優勝した試合の前に、虹が出ていたとか。

今年9月30日は台風でしたが、カープの試合は行われました。引退セレモニーの時には、雲が切れて満月が出てきたとか。

Carp応援ラッピングトレイン お披露目式典の最中にも、雨が止んで日が差してきたとか。

これもやはり、自然とともに。

!ほほえみ

鯉というと、「和」のイメージが強いけれど、キーヤンさんの鯉は無国籍っぽくて、グローバルな感じ。抜けるような明るさがあって微笑んでいるようにも見えます。

鯉の鼻筋。目と目の間の部分から口元。こだわりがなくて素直な気持ちを思い出させる。

ZOOM-ZOOMスタジアムの鯉は勝利に微笑む鯉。

カープはやみくもに勝たないことにしている。勝利するべき時を選んで苦悩しているだけ。

省みる

原爆により、公舎でお孫さんと息子さんと亡くなられた広島市長、粟屋仙吉さんは広島の人ではなく、元々国のお役人でしたが、その正義感から、ゴーストップ事件で軍と対立し、疎まれていたそうです。

軍と対立したためか、、早くに公務員を引退していたにもかかわらず、頼まれて広島市長になったのは、昭和18年。原子爆弾に迎えられるような、タイミングであったそうです。


「康子十九歳 戦渦の日記」(門田隆将著)

「原爆の秘密」(鬼塚英昭著)


投下の原因を国内に求める説など、いろいろな側面の8月6日があるかもしれない。

だからこそ、「あやまちは繰り返しませぬから」と省みることを繰り返し反芻し、静かに重ね、積み上げていくのだと思う。

ひらく

もし、原爆投下に関する機密文書や密約があり、未だに公開されていないのであれば、公開されるべきだと思う。

戦争って、国同士の対立からではなく、権力者同志の密約から始まり、命を奪われるのは一般市民なのかもしれない。軍需産業でお金得て、生き残るのは亡骸を背負った権力者。

権力を持つべき人が持っていないのは、私たちに見る目がないから。