!被褐懐玉
『いっぽんどっこの唄』に「ぼろは着てても心は錦」という歌詞がありました。
帰ってきた人の心は錦鯉。
♪ 人のやれないことをやれ
♪ 行くぜこの道どこまでも
!Carp と Burdock と Eel
今のカープのキーワドは「ごぼう」と「うなぎ」。
鯉のぼりの時期は過ぎました。これからは、ごぼう抜き、うなぎ上りに順位を上げて、おどり出ます。
昔、スタートダッシュで出遅れたけれど、トップに躍り出る競馬の歌がありました。
動かすということ
自分の懐に入るお金が多い方を選ぶ方が、プロであるという考えに、「本当にそうか?」と考えてみました。答えは「違う」。
自分の懐にお金を入れる以前に、多くのお金を動かす。人を動かす。さらに、人々に感動を与え、心を動かす。
人の命がつながる方へ、お金を動かし、全体を動かすことができることがプロで、本当のロマンや夢があるんだと思った。
!お宝
デッドボールを続けて受けた悔しさは、貯金させていただきます。ありがとう。
情熱という利子を増幅し、宝とします。
私たちは、文化を核心にもって、ファインプレイやフェアプレイに満ちた紳士野球を守り抜きます。
観る人の心に陽が差すことを願って、今日も明るい道を歩みます。
summer grass style
原子爆弾により実際に被爆された方にとっては、当時の地獄のような焼土や亡骸の様子がどうしても中心を占めると思います。
しかし、そこにもし、夏草の一本が芽吹いたのであれば、次世代の私たちは、その瞬間の景色をも思い描いてみたいです。
どのように芽を出してきたのか、頭を下げて自然の秘密を問いかけてみたい。
何があっても、再生するその法則を。
スタイル
夏草やつわものどもが夢のあと
芭蕉の有名な俳句。
「夏草」について、「夏草」そのものが枯草に通じて、「夢のあと」の無常を表わしているという「人」目線の解釈が一般的なようです。
でも、「夢のあと」になっても生き続ける自然の力、夏草はすごいな、そこからたくさん学ぶことがあるなと、「夏草」中心でもいいはず。
広島弁で言うと、「どうやったら(どうしたら)、そうように(または、そんとに)(そんなに)、生き延びられるんね(生き延びることができるの)?教えてえや(どうぞ教えてよ)。」
今、日本を除く世界でよく見られている韓国の動画から、「~スタイル」という言い方が流行っているようです。
「アメリカ航空宇宙局」は“NASA Johnson Style ”
それに対して、8月6日を経験し、最近では「おしい!」看板を揚げている広島流では、廃墟に残る夏草に問いかける「夏草スタイル」になるかもしれないです。
The summer grass
It is all that's left of ancient warriors dreams
と新渡戸稲造さんは英訳しているそうですので、“summer grass style”です。
芭蕉の歌は中国の杜甫の詩「春望」の共感から生まれたものです。
国破山河在 城春草木深 感時花濺涙 恨別鳥心驚
烽火連三月 家書抵萬金 白頭掻更短 渾欲不勝簪
ボールとお菓子
「ドイツ人捕虜チーム」で検索すると、広島のサッカーの歴史が出てきました。
1919年1月に、当時の色々な事情で似島にいらっしゃったドイツチームと広島チームとの初めての国際試合が、広島高等師範グラウンドで行われたとか。その頃から日本のサッカーの勉強が始まったそうです。
また、似島の収容所でユーハイムはバウムクーヘンを焼いていて、それが広島県物産陳列館(広島県産業奨励館)で開催された捕虜展示即売会でお披露目され、バウムクーヘンが広まるそもそものはじまりだそうです。
また、この展示会でソーセージを出品したヘルマンさんは、広島のハム製造会社で技術指導をしたそうです。
ホットドッグも解放後に上京したヘルマンさんから伝えられ、販売は甲子園球場が初めてということですが、旧広島市民球場でもずいぶん前から販売されていて、子供の頃はこのホットドッグをお土産にいただくのを楽しみにしてしていました。
広島ではカープうどんはとても有名ですが、子供のころ実際に球場には行かなかった私にとっては、市民球場のイメージは、ホットドック。
確かタマネギかキャベツが入っていてシンプルなホットドックでした。今のホットドッグは昔のものとは少し違っているかもしれませんが。
忘れられているけれど、戦争を経ても、国境を問わず静かに残していただいたものがあるということ。
省みる
原爆により、公舎でお孫さんと息子さんと亡くなられた広島市長、粟屋仙吉さんは広島の人ではなく、元々国のお役人でしたが、その正義感から、ゴーストップ事件で軍と対立し、疎まれていたそうです。
軍と対立したためか、、早くに公務員を引退していたにもかかわらず、頼まれて広島市長になったのは、昭和18年。原子爆弾に迎えられるような、タイミングであったそうです。
「康子十九歳 戦渦の日記」(門田隆将著)
「原爆の秘密」(鬼塚英昭著)
投下の原因を国内に求める説など、いろいろな側面の8月6日があるかもしれない。
だからこそ、「あやまちは繰り返しませぬから」と省みることを繰り返し反芻し、静かに重ね、積み上げていくのだと思う。